スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

レールでできたアーチ橋~飛鳥山下跨線人道橋 

東京北区。
桜の名所である飛鳥山の下、王子駅へ通ずるレールでできた鉄橋は、飛鳥山下跨線人道橋という。
駅南口から飛鳥山を結ぶ駅付属施設ということもあり鉄道省設計と考えられているらしい。大正14年(1925年)竣工。
アーチ部も含め見事なまでのレール構造物。ところどころは鉄の板材が使われている。
20140916_01_0913.jpg

日本で鉄道用レールが製造されたのが明治34年(1901年)、官営八幡製鉄所が動きだした頃。明治4年(1872年)の鉄道開業以来、日本は鉄道敷設が活発だったが、機関車を始め多くは輸入品であった。もちろんレールも大量に輸入し費用がかかったでだろう。そのためレールは貴重品。古いレールといえども駅などの鉄道施設に転用されている。

このアーチ橋は1925年に作られたが、毎日新聞の記事によれば国産レールではなく輸入レールが使われているとのこと。橋脚部には“UNION D 1887”の刻印があるという。“UNION D”はドイツのドルトムント鉱山製鉄連合株式会社のこと。鉄道ファンの間では、「ドルトムント」または「ウニオン」で通じるらしい。

20140916_02_0913.jpg

橋梁眼下には高崎線と貨物線が快走していく。脇は橋梁とほぼ同じ高さで京浜東北線が突っ込むような目線で走ってくる。すぐ駅なので絶好の撮影スポットでもあろう。
見上げれば高架を東北・上越・長野行き新幹線がガンガン通過する。鉄道好きのちびっ子絶好の鉄道車両観賞スポットだ。

20140916_03_0913.jpg


参 考

毎日新聞:憂楽帳:古レールの橋
http://mainichi.jp/opinion/news/20140901k0000e070168000c.html

フカダソフト:古レールの刻印
http://www.geocities.jp/fukadasoft/bridges/rails/marks/index.html

古レールのページ:古レールの刻印を解読する(ドイツ製)
http://homepage1.nifty.com/arashi/fururail/6germany.html



スポンサーサイト

隅田川清洲橋 

隅田川清洲橋。
写真では逆光のため雰囲気が損なわれていますが、きれいな青色の吊り橋が印象的です。
この吊り橋はケーブルではなく曲線の鋼鉄で、そこから桁をハンガーロープではなくポールで吊っているあまり見かけない構造です。使われた鋼鉄は当時海軍で軍艦用に研究中の鋼鉄で、永代橋と共に清州橋でも使われました。

20140214_01_0201.jpg

清州橋は両岸にあった清住町と中洲町の一字を取って名付けられたそうです。

20140214_02_0201.jpg

架橋は昭和3年。橋を歩くと大正期の雰囲気がそこかしこに感じることができるでしょう。
リベットが整然とならぶところ、吊りポール、意匠がすてきな外灯。
くぐって良し、渡って良しの清洲橋でした。

隅田川永代橋 

歴史ある橋で最初の架橋は元禄年間の1698年。赤穂浪士も討ち入りの際に渡ったのだそうです。
今の橋は関東大震災復興事業で架けられたタイドアーチ橋。アーチの先は佃島のリバーシティ21。

20140208_01_0201.jpg

永代橋は江戸時代、富岡八幡宮の祭礼の際に詰めかけた群衆の重さに耐えきれず倒壊するように落橋。
これは落語ネタにまでなりました。

おっちょこちょいの太兵衛と武兵衛。
武兵衛が富岡八幡宮に遊びに行く途中の永代橋で混雑のどさくさでスリに会い、がっかりして帰るところご贔屓さんに遭遇。一緒に飲みに行ってしまう。

その頃、永代橋は落橋。
太兵衛の元に番所から事故で武兵衛が死んだので遺骸を引き取るように連絡が。
慌てて家を飛び出すとごきげんな武兵衛が戻ってきたので、
「大変だ!おめぇが死んじまった。今から一緒に遺体を引き取りに行くぞ」
「なんだって!そりゃ大変だ!」

20140208_02_0201.jpg

はてさてどうなりますやら…(笑)
落語「永代橋」の一幕でした。


晴海橋梁 

最近、ちょっと橋梁に興味を持ってきた。正しくは橋梁とそこの歴史。
今回は晴海橋梁をアップする。

20131128_01_1124.jpg

上は晴海橋から見た晴海橋梁。奥は豊洲のマンション群。その右手はららぽーと豊洲。
ここはIHIの造船所のあったところだ。

20131128_02_1124.jpg

晴海橋梁は豊洲と晴海埠頭を結ぶ鉄道用アーチ橋(ローゼ橋)。
越中島貨物駅から続く東京都港湾局専用線の鉄橋で、晴海埠頭で荷揚げされた物資が運ばれたのであろう。
もともと晴海は昭和15年の万博予定地だったが戦争で中止。その後は住宅や物流倉庫、展示場などに使われたが、交通も不便でありいまひとつパッとしない地域だったように思う。

20131128_03_1124.jpg

江東区はこの橋梁を活用することも考えているようだが、現在は朽ち果てるがまま。晴海側に公園など作って人道橋とするのもいいかもしれない。いっそ交通も悪いのでライトレールなど作ってしまったり…。

まだまだ開発途上の地区なので交通網整備での活用がいいと思うのだが…単線だけど。


名称:晴海橋梁
河川名:運河
線名:東京都専用線
橋長:58.8m
開通:1957年
形式:単線下路ローゼ桁
設計:国鉄/製作:東京石川島
起業者:東京都
参考:土木学会/晴海橋梁
http://library.jsce.or.jp/jscelib/committee/2003/bridge/A6-005.htm

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。