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人間の定義(追記) 

昨日、高氏と渋谷で飲んだ。
唐突にこんなことを聞かれたのだ。

「人間の定義ってないんだよな」

人間の定義とな。つまり人間とは何か、ということを定義しろと。
「そう」
高氏が言うには、肉体的外観だと身障者や奇形がある場合がある。

遺伝子で決めたら?

高氏は言う。遺伝子だってすべての人類が同じではない。遺伝子異常があるからといって人間ではないと言えないではないか。

そうだねぇ。今、目の前にいる君(高氏)が明日も同じ君ってこともないわけだから、むずかしいね。
あとは“種”で決めるとか。つまり交配が可能かどうか。犬はチワワであっても、セントバーナードであっても種は“犬”なので子孫はつくれる。しかし犬と猫では種が違うために交配しても子は生まれない。

ただ問題があるとしたら、種間での雑種が生まれる例。たとえばラバのような一代限りではあるが、雑種が生じる事例がホモ・サピエンスと何らかの種で生まれた場合、それは人間といえるのだろうか?

「意識(思考だったか?知能だったか?)があれば人間とか」

じゃ、意識らしきものを持ったロボットは人間ということかい?そもそも“意識”とは何か、定義できるのかね?

お互い首をかしげるのであった。

 ↓若干続きます

高氏との話はここまで。

そういえば、アンジェラ・アキの“手紙”を聴いていて、それはそれでいい歌詞ではあると思ったが、少し自分の考えと違う部分があることに気づいた。基本的に青春を謳歌している若者はスルーされたい。

「人生の全てに意味がある」はどう解釈すればいいのか。作詞者はそんなこと考えていないだろうし、音楽は感性でもあるので特に批判というわけではなく、匝本人に対する疑問。

おそらく“人生に目的や意味はない”。生まれたことさえも意味はない。気付いたら自分という存在を認識してしまっただけだとおもうのだ。さびしい考えではあるが。

ただあるとすれば成長する過程で“目的”や“意味”を自分で見つけたり、意味づけたりすることだろう。そういうことをするのが人間なんだなって思う。

だから“本当の自分”とか“自分探し”とかって、見当はずれな考えであって、“目的探し”こそが答えなんじゃないか、と思える。(追記)

人間以外の生物には、おそらく自分が生まれた目的や意味など考えたこともないだろう。だから本来、ただの生物であれば生きることに意味はないはずだ。

それでも生物が生きる意味が何かあるとしたら、子孫を残すこと。命をつなぐことだろうか。
そうすると人間は本来の意味をなさなくなりつつあるんじゃないか。子供をつくらない(経済的につくれない)夫婦だけでなく、結婚せず子もつくらない人たち。自分の身を生前、死後共に他の生物に食われたりしない。死後、焼かれてしまう。どうだろう。


「自分の声を信じ歩けばいいの」というところは聴き逃すところだったが、ここには“神”が入りうるところだろう。日本は救われる方法がないのだろう、既に自分しか信じられないのかなぁ。この部分は匝的には寂しさを感じる。意味的にはいいかもしれないが、自分しか信じられないともとれるから。神以外でもいいから、本当にさびしい時や辛い時は何かを頼りたいもんだよ。

とはいえ“信じる”って凄いです。絶体絶命、どう考えたってうまくいきそうにない絶望から唯一救われることは“信じる”ってことだと思うんです。絶対にいける!切り抜けられる!!その信念の強さが一筋の光を照らすんだと匝は考えます。(切り抜けられなかった人は信じる力が足りなかったという、ロジックもあるわけですが…)

そこそこ神さまはいた方がよさそうです。


2009-5-6 8:20追記
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