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われはロボット 

われはロボット 〔決定版〕 アシモフのロボット傑作集 (ハヤカワ文庫 SF)
われはロボット 〔決定版〕 アシモフのロボット傑作集 (ハヤカワ文庫 SF)小尾 芙佐

おすすめ平均
starsロボット工学三原則
starsただの『SF』ではなくて
starsW・スミスはアシモフの墓の前で切腹しろ!
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stars映画公開にあわせてお化粧直し

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鉄腕アトムをはじめロボット中心の話はあまり好まない。「ロボットの時代」でアシモフも書いているが、ロボットが作られ創造主を破滅させられる(られそうになる)物語はおもしろくないのだ。
そんなわけで今までアシモフを手にすることもなかったのだが、“イヴの時間”のこともあってとうとう読むこととなった。

“われはロボット”jは短編集ということもあって、どんどん話に引き込まれ、次々にページをめくり、一気に読んでしまった。
ロボット工学の三原則をキーワードに展開する人間ドラマといった印象。またはロボットが普及するまでの多難な開発の歴史、そういったフィクションだ。

短編集の“われ思う、ゆえに…”は、ロボットが自我を発見するとともに宇宙ステーションのエネルギー転換器を主(神)と信じてしまう。ステーションはビームによって太陽エネルギーを地球などに送っていて、これをロボットにやらせる計画だったが、ロボットがステーション内の人間を隔離してしまう。そこへ大きな電子嵐がステーションを襲い、その嵐の中でビームを地球に向けて送信しなければならない。もし受信ステーションからビームが逸れれば、あたり一面は焼け野原になる。作られたばかりのロボットだけでそれができるのか、それはロボット工学三原則に従って処理され、ロボットの解釈では主の御心に従っただけで何事もなく成功される。

“うそつき”はロボット工学三原則の「人間に危害を与えてはならない」が大きな矛盾を発生させてしまう。ここで若かりし頃の冷徹なロボ心理学者のキャルヴィン女史までもロボットの手のひらで踊らされ、ロボットを愛する女史がロボットに憎悪を向けるところが、ロボットのような博士にも人間の心があったという物語に少し安心できた。

“証拠”では市長立候補者が実はロボットではないかという疑いが持ちあがる。ロボットならロボット工学三原則に従っているではないかというところでは、キャルヴィン博士が「善良なる人間」もロボット工学三原則が倫理的に当てはまるためロボットである証拠にはならないと答えている。この疑いはロボット工学三原則で制限されていることを立候補者が行うことで解決するのだが、そこには落とし穴があったというミステリものでもある。

物語はロボットを通じ、人間の安全のためのロボット工学三原則に人間が翻弄されている。ここがおもしろい。

最後の“災厄のとき”を読むと、もはやすべてのことはロボットの見えざる手によって人類の安全が保障されてしまっている。いや、そのように解釈されるだけで、本当のところはキャルヴィン女史もよくわからないのだろう。

ドラえもんやアトムのような友達になるようなロボットは登場しない(あえて最初の“ロビイ”くらいか)。
すべては道具であり、人間に関わりを持つとしてもロボット工学三原則に従っているだけで、そこに友情や親近感を持つのは人間の勝手な思いなのだ。

“災厄のとき”を読み、ロボットとそれを統括するコンピュータを使えば、高度な計画経済を実現できるだろうか思いを巡らせた。ロボットが単純労働生産に携わり、人間が創造性のある分野を担当する。

むむむ、何やら南北問題や昨今の労働問題、マネーに翻弄される市場経済の今の姿が現れてきそうだ。

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