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「最大多数の最大幸福」の誤解 

勉強をしていないが、「最大多数の最大幸福」という言葉。

誤解だと思うのだが、最大多数が幸福になるためには少数が不幸になる、ということを容認するものではないようだ。自分が幸せになる、または助けが欲しい時には、他人にも手を差し伸べたりすることが必要だということが裏側にあると思うのだ。

今の快楽よりも、将来の快楽を得るために、将来自分が幸せになるために、今、他人に手を差し伸べる。多くの人がそれを行えば、社会全体の幸福度が向上し、何らかの幸せを多くの人が得ることができる。

つまり、最大多数が幸福になるために少数の不幸が容認されるのではなく、その少数に対し、不幸が減少するように(幸福が増加するように)何らかの補償などを行う。また少数についても最大多数が幸福になるために自己の利益だけにこだわらずに譲れるところは譲るという考え方も必要なのだ、ということかなと想像している。すんません、勉強不足で。

みんなが自分の幸せだけを考えると、社会全体が荒れて、結局は自分の身に不幸が降りかかってくる。不幸な社会とは、つまらないことまで法律を制定する社会。つまり道徳が崩壊した社会だ。

また雰囲気で多数の人が戦争をしようとすることが最大多数の幸福には成りえないことがある。もし負ければ多数の不幸となってしまい、少数の反対派の意見を聞いておくべきだったということになるわけで、決して多数決と同意語というわけではない。

とおもうのだ。

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