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単純な脳、複雑な「私」 

単純な脳、複雑な「私」
単純な脳、複雑な「私」
おすすめ平均
stars間違っている。
stars単純な池谷の心、複雑な脳
stars角回とは
stars脳と心の関係が・・・
stars相変わらずの安定感

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なんとも目から鱗の話ばかりだ。この前の著書である“進化しすぎた脳”(確認して分かったが、記事にしていなかった)に比べ、この本までの短い期間での脳科学の進歩はかなり早く感じた。

この本は“進化しすぎた脳”と同じく、著者、池谷(いけがや、と読む)氏が学生に講義した記録だ。今回は、母校の高校で4回にわたり行われた。内容が豊富なことと、整理・工夫されているとはいえ講義の記録であること、理解しがたい現象を取り扱っていることもあって、数回の読み込みと反芻が必要である。

本書ではとりあえず二つの点に注目した。

ひとつは、池谷氏の“進化しすぎた脳”では分かりにくかった“自分が動かそうと意識する前に身体は動かす準備をしている”という部分。この本ではさらに行動の後半が明らかにされる。全体の流れとしては、

“脳内で身体を動かす準備”
  ↓
“身体を動かそうと意識する”
  ↓
“身体が動いたと知覚する”
  ↓
“実際に身体が動く”

意識する前に脳内では段取りが終わり、動いたと思ったらこれから動かすところだった。という、驚きの報告だ。つまり、意識している「私」が“動こうかな”って思った時すでに、脳は動く準備が完了している。そして「私」が“手を動かしている”と知覚した時、身体はこれから身体を動かすところである、というのだ。

もし脳の運動を準備する部分に障害があった場合、無意識が「私」に運動を意識させることがないため、「私」の意識に関わらず勝手な行動を起こしてしまう。たとえば左腕が勝手にものを掴むとか。
結果的に「私」には自由意思という存在は怪しいもので、自由否定のみができるのではないかと書かれていた。なんとなくわかるが、いまひとつ飲み込めていない。

実際に自由がなくても(無意識に操られていても)、自由を感じていれば、それは自由だ。という部分は至言かもしれない。

あと「私」が知覚できていなくても無意識が知覚していることもありそうで、それが直感とか第六感とかになっているのかな、と思える。また脳は空間と時間を歪めるため、「私」が身体の外にいるような感覚(幽体離脱や背後霊みたいな)を感じさせる要因でもあるようだ。

それらは脳による認識や運動のシステム上の問題ということらしいのだ。

ふたつ目は、脳に限らず世界がそうなっているのかもしれないと感じた部分。脳や遺伝子などは単純なルールで動いているというものだ。遺伝子を例にとると、進化の歴史を含め身体の設計図が入っているといわれているが、とても遺伝子の容量から考えてこれだけ複雑な身体の設計図は入りきらないと書かれている。では何が書かれているかというと、単純なルール。○○だったら××する、次に××なら△△する、というような一見意味のない複数のルールだけが記録されているというのだ。

生命は卵細胞からこのルールを繰り返すことで、無目的にヒトとかを作り上げてしまうというのだ。
この世界観は素晴らしいと感じた。単純なルールだけで、この物理世界も創り上げられたんじゃないかと思うのだ。ライフゲームのような世界。これなら突然、宇宙の片隅で生命が誕生しても構わない気がする。

脳内の活動もルールとノイズによるゆらぎによって動いているのではないかというような実験報告が並べられ興味深く読むことができた。

以上2点のほか、心の痛みは、身体の痛みを感じる脳の場所で処理されているなど、多くの話題が入っていて1回や2回読んだ限りではわかりにくい。ただ文章は話し言葉なので、軽く読むことはできる。1回だけ読んで「へぇー」って感じてもいいし、深く知ろうとすればいくらでも深く知ることができるだろう。

とにかくまとまりのない文面なのは多岐に渡るテーマが深すぎて、匝本人も消化不良のためだ。
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