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新幹線をつくった男 島秀雄物語 (Lapita Books) 

新幹線をつくった男 島秀雄物語 (Lapita Books)
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stars昭和34年の時点で時速200キロ出せたんだ!!
stars日本鉄道技術史
stars「既成技術の集大成」とは新幹線のこと
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びゅわーん、びゅわーん、走るぅ 
青いひかりの超特急…

幼稚園時代から0系に乗って名古屋へ行った。世界に誇る高速鉄道。
ホームをすべるように走りだす。車窓の向こうに見える富士山がみるみる大きくなり、後方へと流れていく。

子どもの頃の電車って床が板張りで雨が降るとワックスの香りがしたり、走り出す時のモータのギア音が高らかに鳴っていた。車体だって箱型だったんだ。それが新幹線は飛行機のような流線型で16両もあった。多摩川鉄橋を渡る新幹線を飽きずに見ていたものだ。

開通はオリンピックに合わせ、日本全体が敗戦の復興から自信を取り戻し、次々に夢を実現していた時代。

この本は、小学館のラピタという雑誌に連載されたものをまとめたものだ。
敗戦後わずか19年だが、いくつもの大都市を結ぶ高速鉄道の着工は1959年で開業が1964年。5年間という驚異のスピードで工事が完了したのは、戦前からの“弾丸列車”計画というものを応用したことが書かれている。

1939年に発案された弾丸列車計画こそ新幹線の青写真。線路の幅は狭軌ではなく標準軌とされ、大量・高速輸送で大陸とを結ぶ計画だった。さらに戦争に備え建設のための用地買収をしていたことが、戦後の新幹線計画の実現を早めることができたのだ。トンネルのいくつかは戦時中も建設が進められたため、長い新丹那トンネルなどは戦後ほぼ完成していたことも短期間での開業ができたのだ。

ただ、いつの世も反対派は存在する。アメリカの影響もあって、戦後の交通は自動車と航空機が担い、鉄道は斜陽産業とされた。さらに敗戦直後の財政で長大な鉄道建設ができるのか、また敗戦国で世界一の高速鉄道をつくることに対する世界の目。そして技術的な不安、などなど暗雲がたれ込めていた。今ではおらが町にも新幹線を、という時代ではあるが。

重要な人物、十河総裁と島技師長の信念で新幹線は開業されたといって過言ではない。

十河総裁は国会を相手に予算を確保。もともと本当の建設予算を言っていなかったので、予算オーバーで建設がとん挫することを見越して、世界銀行からの融資を受ける。世界銀行で融資を受けると政府が案件の完成と債務の保証をしなければならない。つまり開業するしかなくなる。この融資を受けるにあたってかなり危ない橋も渡っているところは、ビジネス的に見てもおもしろい。

さらに不足する予算は、地方から陳情されるローカル線建設を中止することで賄ったとされる。これは政治家の反感をかってしまう。

技術的な問題は島技師長が解決していく。新しい技術は使わず、既に使われているような技術(プルーブド・テクニック)をうまく組み合わせることで、新幹線というシステムを作り上げていった。この頃は鉄道技術者の間で高速鉄道への機運が高まっており、小田急がロマンスカーで高速車両を製造。これに技師長もバックアップし、ライバルでもあった小田急に技術と国鉄の線路を使わせデータを取るなどを行っていた。さらに東海道本線でビジネス特急こだまを運行させる。世間にスピードへの
アピールをしたわけだ。そして夢をみる職員たち。

こうした努力によって新幹線は開業され、その後の成功はご存知の通り。注意すべきはふたりとも国鉄や国の将来を考えて行ったことだ。

さて、この二人は開業の際の出発式に招かれていない。テープカットしたのは、なんと建設反対派の石田新総裁が行った。

「なに、無事に走ってくれさえすれば、それでいいんだよ」とは十河前総裁。
テレビで出発式を観た後、自宅の窓越しに一番列車が通過するのをみた島前技師長。

ふたりはそれだけで満足だったらしい。

長くなってしまったが、どんなに素晴らしいものでも多くの人の理解がなければ作れない。また夢がなければそもそもモノなどは作れない。

“技術というものは、そういうものだと思います。とんがった部分だけをツマミ食いしても、しょせんものんはできない。全員が反対しているときには、どんなに自信があっても、駄目なんですね。もしかしたらできるかもしれないな…と思いはじめる人が反芻近くでてくれば、これは、もう努力すれば必ずできるんです”

これはP275で、既に1903年にベルリンで最高時速210.2kmの試験電車の走行実験が成功していながら実用化されなかったことについて島が語ったところだ。つまりこの時点で200km/hを超える高速列車の基礎的な技術はほぼできていた。

今を顧みると、そもそも夢、将来こんな風な世界になるという夢が、日本にとても不足していると思う。一部の技術者だけではできることもわずかだ。技術者にはもっともっと夢を語り、情報を発信してもらいたい。NASAの手法を習ったJAXAはある程度成功しているが、日本の研究機関はもっともっと国民に夢を。

さてJR東海のリニア新幹線はどうなるだろうか。

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