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“私”の位置 幽体離脱 

“幽体離脱”と書いておきながら、“体外離脱体験”と言い直します。
“幽体離脱”は神秘主義的な響きでしょ。科学の対象として“体外離脱”と区別するらしいので。

“単純な脳、複雑な「私」”に述べられていることを箇条書きにしてみる。

1)脳の角回に刺激を与えるとゾワゾワ感を感じ、背後に他者の存在を感じる。
2)脳の頭頂葉を刺激すると、身体だけが後方にワープするように感じる。
3)右脳の角回を刺激すると、自分が2メートルほど浮かび上がり、天井からベッドに寝ている自分を部分的に見える。

これを著者の池谷氏は、自分を外から客観視する脳の機能によるものではないかと考えているようだ。

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角回という場所は、暗喩を理解する部分でもあるらしい。たとえば「空の綿アメ」といって“雲”を連想することができると思うが、角回に何らなの障害のある人は、そのまま“空”の“綿アメ”を思い浮かべるらしいのだ。つまり言葉の裏に隠れている意味を類推することができないということだろう。

そんな角回に刺激を与えて、なぜ背後に自分の身体を感じるのだろうか。
ちょっとその前に、なぜ自分の身体だと思えたのかだ。
実験を通して背後に他者を感じたが、実験を進めるうちに意識の“私”と同じことをしていることがわかってきた。つまり“私”が右腕をあげると背後の他者も右腕を上げる、というように。
この現象と暗喩を類推する機能とがどう関係があるのかわからない。

池谷氏の“自分を外から客観視する機能”を手がかりに体外離脱体験を考えてみる。

角回など脳の一部の機能として、自分を客観視する機能があるらしい。他人からどう思われているか、とかを気にするのは、この機能によるものだと思われる。これが極端に強くなると“他人からどう見えるか”がまさに“私”の立場で眺める(想像する)ことになるのではないかと思えるのだ。

何かを真剣に考えていると、そのイメージの中で“私”が何かを体験している感覚があると思うんだけれど、それに似ているんだと思うんだ。正常な状態であれば、自分の身体というか現実に引き戻される。外からみると物思いにふけっている感じ?

精神病、解離とか離人症なんかも、このあたりの障害ではないかと思うんだ。
脳の機能障害で角回の刺激と同じように背後に他者を感じてしまう。振り向いても誰もいない。これって恐いよね。
そこで“私”は合理的に理解することができないために、背後霊などで理解するのだと思う。天井から見ているっていうのも実際の映像ではなく、イメージだと思うけれど。

とても恐い体験をしている時、脳の保護機能としての体外離脱っていうのもあると思うんだよね。
何かにはさまれて身動きができない。とても苦しい。そんな自分を見ている“私”とか。

“私”は脳の機能を知らないけど、“私”が体験する不思議な現象に対して何らかの解釈をしなければならない。だって恐いじゃない。そこで霊とか神を創造してしまったのだろう。

“心”と“私”の発見直後は、こういう自他の概念に混乱があったのではないだろうか。むむむむ。

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