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脳はなぜ「心」を作ったのか 

脳はなぜ「心」を作ったのか―「私」の謎を解く受動意識仮説
脳はなぜ「心」を作ったのか―「私」の謎を解く受動意識仮説前野 隆司

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手品というのはタネを知るまでは「どうなっているのだろう」とかワクワクしてみているのだが、タネを知るとがっかりするものだ。きっと世界のしくみもそんなものかも知れない。

世界のしくみ以上に謎なのが<私>の存在。著者は子供の頃、「小学校低学年の子供だった頃、私は夜眠れない日々を過ごしたものだ。自分の心は、死んだらどうなってしまうのだろう。どうして自分の心は、この「前野隆司」という肉体の宿り、今という時代に生まれてきたんだろう。どうして自分だけが自分で、他人は他人なんだろう。夜ふとんに入り、まっすぐ上を見ながらそんなことを考えていると、見つめている薄暗い天井がすーっと遠ざかっていき、無限の宇宙の中に一人ぽつんと浮かんでいるような孤独感にさいなまれた…」そうだが、匝も同じようなことを考えたことがある。そして未だに答えがみつからない。いや、答えがないのかもしれないし、答えを認めたくないのかもしれない。

そしてこの問いについて、人生のところどころで思いついたように考えたり、本を読んだりしていた。
するとどうだろう、この著者は受動意識仮説という答えをみつけたとあった。受動意識仮説…、それはいったいなんであろう。これがこの本を読むきっかけだった。

簡単に言ってしまえば、無意識に行っていることのうち注意を向けるもの意識で、意識的に行っている行動はすべて無意識が先に実行をはじめ「私」は「私」が意識的に行っていると錯覚しているだけだと。だから意識は受動的といえる。そして意識はエピソード記憶(時系列に体験を記憶する?)のために存在し、感情はエピソード記憶を強調するために存在する。ということらしい。まったく簡単ではないか。

いくつかの実験や工学的なアプローチからの心の解釈は匝には新鮮でした。しかしまだ理解できていません。
筆者は悟りに近いような答えをこの仮説で得たようですが、匝的にはしっくりきません。そしてどうしてしっくりこないのかも、まだわかりません。

ただ、この本の中盤から「~としか考えられない」という論調が残念でした。心をもったロボットが作ることも可能だというのはいいとして、ロボットやその他生物にも人権を…というのは飛躍がありすぎる。

それでも心をもったロボットが必要な時代というのも寂しいが、いずれは必要になるのだろうと匝も思うのですが。

受動意識仮説。まだまだ理解が足りないのですが、著者の示したままだと救いがないと感じます。もっとも救いとは<私>を救うことであれば、仮説的には無意味なのかもしれませんが。

まだまだ<私>とは何かという答えはみつけることができそうにありません。人間は内なる世界の<私>も外なる世界も知ることはできないのでしょうね。

なにやら支離滅裂なことを書いてしまいました。
受動意識仮説を知りたい方は著者のサイト“ヒトとロボットの心の研究”をご覧ください。

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