スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

忘れないように「対馬丸」 

リズムをとるようなエンジン音。
ゆったりとした揺れ。
そして鮨詰めで蒸し暑い船の中。
夜の真っ暗やみの中うつらうつらしていた、疎開船。

ハッと目を覚まさせる喧騒が聞こえる。魚雷が当たったのだ。

昭和19年8月22日、沖縄からの疎開船「対馬丸」は米軍潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受け沈没した。

匝が小学高学年か中学生の頃に本になり話題になったので読んだような気がする。

内容の詳細は忘れてしまったが「勝っている」とする軍の発表に対する民間人の疑いは本土以上のものだったに違いない。昭和19年8月とは敗戦の1年前、全国で学童疎開が始まる。

台湾か沖縄が戦場になると想定されたことから沖縄でも疎開がはじまる。すでに帝国海軍には軍艦の余裕はなく貨物船。他の2隻の疎開船と砲艦宇治と駆逐艦蓮の5隻で長崎へ向かったが、撃沈されたのだった。護衛の艦は疎開船団全滅を恐れ他の疎開船と共に爆雷を投下しながら北上をしたという。

対馬丸でもっとも悲劇だったのは、救命いかだなどで助かった人たちだ。
何日も真夏の海の上で飲む水や食糧もなく漂い続け、さらに台風接近による迫りくる三角波。さらにサメに襲われるなど大変な苦労をされた。そんな中でも生き抜いた子供たちを支えたモノは何だったのだろう。

1997年12月に対馬丸調査のソナーで確認。同年12月12日にJAMSTECの深海探査船により「対馬丸」の船体を映像で確認された。

JAMSTEC:対馬丸調査ページ

例によって動画である。

対馬丸
http://www.youtube.com/watch?v=VNmaV7tiDvM

海に沈んだ対馬丸―子どもたちの沖縄戦 (岩波ジュニア新書)
海に沈んだ対馬丸―子どもたちの沖縄戦 (岩波ジュニア新書)早乙女 愛

おすすめ平均
stars7人の生還者のその後
stars対馬丸沈没―七人の体験者の証言―

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://eniguma.blog85.fc2.com/tb.php/2234-19ca9ed1

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。