スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

海苔の一生 

海苔といえば浅草海苔が有名ですが、いま日本中で食べられているそのほとんどがスサビノリで作られた海苔です。もちろん浅草海苔も。

以前はアサクサノリという生き物で作られていたのですが、病気に強く生育が早くて養殖しやすいスサビノリに変わっていきました。そのためアサクサノリは生活する場を追われ、日本で数か所にしか生息していません。
110226_15.jpg
(図をクリックすると大きくなります)

さてこの養殖も戦後になってからはじまりました。
あれ?って思いますよね。戦前まではヒビとよぶ木の棒を海中に立てて自然に胞子がつくのを待って海苔を作っていたのです。戦後はこの胞子を人工的に増やして種付けすることができるようになり、効率よく養殖できるようになったわけです。

なぜ養殖できなかったかというと胞子がヒビ木につく前の季節。つまり春と夏にノリはどこで何をやっているのか知られていなかったのです。

1949年にキャサリン・ドリュー(Kathleen Mary Drew-Baker)というイギリスの海藻学者によって、貝殻の中で糸状の身体(糸状体)となって暑い夏を過ごしていることが発見されました。

これによって貝殻、特に牡蠣殻に胞子をかけて糸状体が殻につきやすくします。翌年の秋にはこの牡蠣殻を入れた箱をヒビ木や網にぶら下げておくだけで殻から出てきた胞子が網に付着して葉体となって海藻としてのノリが養殖できるのです。

ノリは大きくなった葉体では有性生殖を行い果胞子となって貝殻に付着、糸状体となって過ごします。
糸状体は水温が低くなる9~10月に殻胞子を放出。網などに付着すると発芽して無性生殖でどんどん増えます。
その後は冷たい水の中どんどん成長して葉体になるという一生を繰り返しているそうです。

さて、ノリの糸状体の発見はドリュー先生によるものでしたが、その発見はすぐに日本の九州大学瀬川宗吉先生に伝えられ、熊本県水産試験場で人工採苗に成功しノリ養殖への実用化が実現する。

ところで東京湾は江戸時代からノリ養殖が盛んだった。
浅草海苔は有名で、明治以降は品川や大森、浦安など湾内のいたるところで海苔漁が行われた。

浦安では1959年あたりから人工採苗による海苔養殖がはじまり、海苔養殖も安定生産できるようになる。その間に機械化も進み労力もずいぶん軽くなった。

しかし高度成長期、宅地化と河川や海の汚れもあって生産もできなくなり1971年にアサリ漁も含め漁業権を放棄。浦安の干潟は埋め立てられ宅地化とディズニーランドへと変わった。
110226_14.jpg
ノリ養殖が全盛の頃の浦安の写真。海苔の干し台がたくさん並んでいる。四角いノリは紙を漉くようにした後、海苔簀というものに乗せて乾かしている。

今では浦安市郷土博物館で観ることができる。
110226_13.jpg
110226_12.jpg
浦安の海苔干し台や海苔簾は浦安のヨシ原から取ってきたものでした。つまり海苔も道具もすべて地場産。
海苔簾は子供たちが一生懸命編んでいたようで、郷土博物館にはその時代の写真が、そして道具も展示されていました。道具も使われなくなったら意味はないんですよね。寂しいです。
110226_11.jpg


海苔よもやま:ドゥルー女史
http://www.j-nori.com/yomoyama1.html

海苔(ノリ)養殖教室:のり養殖
http://ww71.tiki.ne.jp/~anbusho/newpage2.htm


スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://eniguma.blog85.fc2.com/tb.php/2396-79418831

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。