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目で見る断層 

城ヶ島はその地質的な歴史の中で激しく動いた島だ。

関東大震災を起こした大正関東地震は小田原を揺さぶった十数秒後、三浦半島を震源とする地震を誘発した。さらにわずか5分程度の間にM7級の余震をふたつ発生させている。

城ヶ島の荒々しい磯はよくみると地層が上を向いていたりずれていたりしていますし、馬の背洞門などは隆起の痕跡をみることができます。

今回は地層的におもしろい西側を散策してみました。入門者向けですね。
111217_51.jpg
上の写真、左右で縞(地層)がずれていることに気づくだろう。
左に比べ右側が上にずれている。写真真ん中くらいまでが切り立っていて、真ん中より下は手前まで水平だ。
境目もまっすぐ足元まで続いていた。

下の写真は地層を横から見たようす。
ひときわ目立つのは白い炎のような模様だろう。これは“火炎構造”という。
111217_52.jpg
調べてみるといくつか説があるようだ。
この白い凝灰岩の下は泥岩(重い火山灰)で、泥岩が固まりきる前に白い凝灰岩(軽い火山灰)が堆積した。
その上に砂岩(粗い火山灰)が堆積する。

ここで地震などで揺すられて固まっていない泥岩が踊り、上に乗る白い凝灰岩を噴きあげたという説。
もうひとつは白い凝灰岩の上の砂岩の重さで泥岩に含まれる水が脱水・上昇し白い凝灰岩を上の砂の中で舞いあげた模様という説があるようだ。

地層というのは長い年月を掛けて作られるものだろうが、そのしくみは大なムックでおもしろい。
111217_53.jpg
もう一つのポイントは見てもわかるだろうが断層だ。
上の写真では右手が左側の上に乗り上げる構造となっている。両側から押されてずれた逆断層型だ。
下の写真では両側から押され、中央部が耐えきれずに上にずれてしまったもの。これも逆断層型だ。
すると城ヶ島はいつも押し付けられているということなのだろうか。
111217_54.jpg
大正関東地震(関東大震災)では城ヶ島は隆起した。そして海に没していた部分が地震後、地上に現れたままになったというのは先に書いた。

しかし驚いたのは地震直後から対岸の三崎港と城ヶ島の間の海は7.5メートル隆起して干上がり、数日間は歩くことができたという話。その後、しばらくして徐々に海が戻ったといい、今の通りになったそうだ。

一気に数メートルは隆起し、また元に戻る。大地というのは不動ではないてって話なんだね。

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