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銀鉱石から銀を得る 石見銀山 

石見銀山は鎌倉時代に発見され、その後採掘が中断された。
戦国時代の1526年に再発見され、以来、1943年に至るまで実に437年の長きに渡り採掘された。

17世紀には世界で産出される銀の1/3が石見銀であったそうだ。
また16世紀以降、銀は貿易決済の手段であり、また明(中国)では銀による貨幣制度のため大量の銀を必要としていたそうで、そこに着目したポルトガル船が日本との貿易で石見銀を得、その銀を使って明の物産を購入して欧州へと運んでいた。

さて石見銀山から採れる銀は、当初鉱石のまま博多や朝鮮に搬出されていた。
鉱石とは不純物を大量に含む銀化合物で、当時の日本には純度の銀を取り出す技術がなかった。
121109_02_1102.jpg

写真の黒っぽい部分が銀が含まれるところで硫化銀である。
これを精錬して純度の高い銀を得るために大陸から「灰吹法」という技術導入が図られた。
1533年のことらしい。

その手順は…
1)銀鉱石を細かく砕く
2)ゆり盆と呼ばれる薄い盆に砕いた銀鉱石と水を入れて揺する。
3)軽い石は流れ去り、重い銀鉱石が底に残る。
4)残った銀鉱石に鉛の鉱石を加え、火によって溶かす。
5)銀は鉛と結びつきやすく、銀と鉛の合金「貴鉛」ができる⇒銀と鉛はなかよし
6)灰を敷いた炉に貴鉛を入れ、高温で溶かす。その際にふいごでがんがん空気を送る。
7)鉛は空気中の酸素と結び付く⇒鉛は銀より酸素が大好き
8)融けた酸化鉛は融けた銀よりも軽くまたサラサラしているため、ダマになった銀の上に浮いたあと縁へと流れそのまま灰に染み込んでいく。⇒比重と表面張力の違いの利用

灰に空気を送り込みから「灰吹法」というのかな。

灰吹法を繰り返し純度の高い銀を精錬していったらしい。これによって銀鉱石から銀自体で取引が行われ、遠くヨーロッパにまで石見銀山(地名の佐摩=Soma)の名が伝わることになった。

ちなみに灰吹法は西アジアでは2000年も前から行われていたらしいが、日本にはかなり遅くまで伝来しなかったようだ。しかしこの工程を発見したのはすごいことだ。化学の世界だしね。


石見銀山資料館:技術-採鉱と製錬-
http://fish.miracle.ne.jp/silver/history/technology.html

しまねバーチャルミュージアム:石見銀山
http://www.v-museum.pref.shimane.jp/special/vol06/develop/develop2.html

石見銀山世界遺産センター:石見銀山-鉱山の技術と科学-
http://ginzan.city.ohda.lg.jp/files/20110324154158.pdf

甲斐小金村・油之奥金山博物館:灰吹
http://www.town.minobu.lg.jp/kinzan/tenji/haihuki.html

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