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横浜遺構 鉄軌道と回転台 

開国の歴史を開いた横浜。当時、活況を呈した波止場「象の鼻」では荷捌きのための鉄軌道が整備されていた。

象の鼻地区にいくと広場に保存された遺構を見ることができる。昼は気付かない人もいるだろうが、夜はライトに照らされ暗い広場に光る地面に気付くだろう。
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中には錆びた線路と丸い回転台を見ることができる。
横浜開港は1859年。それから約40年後には一大貿易港となり、大量の荷物を運ぶために鉄軌道が整備されたらしい。

はじめは艀を留める突堤だったのが防波堤になった象の鼻(形が象の鼻に似ているため)は、海上の貨物船からの艀が行き交い、また象の鼻の脇から伸びる鉄桟橋(今の大桟橋)の貨物船との荷物のやり取りのため、鉄軌道の台車が走り回ったのだろう。
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遺構の説明版をみると鉄桟橋から今の象の鼻パーク全体を鉄軌道が整備されていたことがわかる。
軌道を分岐するポイントには回転台が設けられていたようだ。
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象の鼻パークの端に回転台がポツンと展示してある。
台車ひとつの大きさは回転台くらいだったのだろう。鉄軌道の幅は今のJRの線路の幅と同じだそうだ。
港から運ばれる荷物は台車に乗せられ波止場を移動し、倉庫に入れる時に回転台でグルリと方向を変える。
20130107_03_0104.jpg

回転台はローラの上に乗っかっているだけ。ガタつかないよう基礎の心棒に回転台中心をはめ込むようになっていた。
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ちなみにこれらは2008年、象の鼻地区の整備の際に発見されたもの。開港から実に150年であり、少なくとも鉄軌道と回転台も100年くらい経っているわけだ。

身近な横浜なのにその歴史はよく知らない。少し関心を持ってみたいと思う。

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