スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

新潟訪問 原爆疎開 

19日からの新潟訪問。初日のサイエンス・カフェの他、もう一つの目的は終戦直前の新潟市原爆疎開についてだ。

日本に原爆が落とされたことは日本人だけでなく世界でも多くの人に知られている。
日本人の中でも目標にされたのが、広島、長崎だけでなく、小倉、新潟が含まれていたのを知っている人は少ないだろう。
まして長崎に投下された日、本来の目標が小倉であり、市街が視認しにくいため目標を長崎に変えられて投下されたのを知っている人も少ないだろう。

以上のことを知っていても、広島への原爆投下後に新潟県が新潟市民を原爆投下に備えて避難させていたことを知っている人はわずかと思う。匝も最近知って、新潟に行って資料をみる機会を考えていたのだった。

19日は新潟市立中央図書館(ほんぽーと)で郷土資料をあたる。
いくつかあったけれど一番詳しかったのは「新潟市歴史双書2 戦場としての新潟」のP122「原爆投下の危惧と市民の疎開」だった。

この本では原爆疎開を実施する知事布告の全文が記載されている。
この知事布告の複製は新潟市歴史博物館みなとぴあで展示されている。
20130120_01.jpg

新潟市歴史博物館は瀟洒な洋館風で、かつての国際港の賑わいを感じさせられます。

知事布告は、8月6日の広島への原爆投下で急遽広島へ派遣した職員の報告も参考に議論され決定されたもの。
もっとも職員は混乱で広島へ行くことかなわず、東京の内務省で情報を収集して報告書を作成した。

8月1日の長岡大空襲で新潟市内はさらなる建物疎開(強制疎開、火災延焼を防ぐために建物を破壊し空き地をつくること)を発表。その後、艦載機による銃攻撃を受けていたため、市民の疎開を議論するところに上述の報告書も提出された。

報告書には、
1)広島に投下された「新型爆弾」は爆心から3里(約12km)以内が危険
2)ソ連が日本に宣戦した
3)9日、長崎にも「新型爆弾」が投下された
4)内務省は新潟市民の疎開に反対である
ということが記載されていた。

10日から夜にかけ会議を行い、ようやく11日に内務省の意向に反して新潟市民の緊急疎開を実施する布告をだした。
20130127_02_0120.jpg


知事布告(読みやすいように原文を損なわない程度に直した)

鬼畜敵米は新型爆弾を使用し、広島市を暴爆した。これがため同市は従来の国内諸都市がこうむった空襲に比べて、極めて僅少の爆弾をもって最大の被害を受けたのである。この被害は今までの各種防空施設をほとんど無効とし、従来の民坊空対策をもってはよく対抗しえない程度のもので、人命被害もまた実に莫大であって、酸鼻の極ともいうべき状態であった。この新型爆弾は我国未被害都市として僅かに残った重要都市新潟市に対する爆撃に、近く使用せられる公算極めて大きいのである。

ここにおいて県は熟慮の結果、人的資源を確保し戦力の保全を期するため、別記のごとき措置を急速かつ強力に実施することと致した次第である。

市民各位は既に敵の中小都市に対する空爆開始以来、疎開に関し充分なる理解をもって着々実行してきたのであるが、変転の激しい戦局と暴戻(ぼうれい:残酷で道理に反すること)なる敵の攻撃手段に対し、市民各位は覚悟を新にし、本措置に基づき更に一層徹底したる疎開を急速に実施しなければならない。

本措置は敵の無辜(むこ:罪のない)の市民に対するせん滅的殺傷企図に、肩透かしを喰はせんとするものである。本措置は甚だ突然であるが、よくこの趣旨を諒解し、益々闘魂を燃やし、逃避的に堕せず、整斉(せいせい:整いそろう)たる秩序をもって、市街転出をなすよう特に要望して止まない次第であります。

新潟市に対する緊急措置要項
一、一般新潟市民の急速なる徹底的人員疎開
二、重要工場の有効かつ能率的なる疎開
三、公共施設の疎開
四、新潟市における建物疎開の一時中止


布告から次のことがわかる。
1)未被害の都市を狙っていると類推し、日本海側の港湾・重工業都市である新潟も被害がないことから標的にされていると考えていること
2)あまりの威力に延焼防止の建物疎開は意味をなさないと考えていること

この疎開のための手順も練られており、親戚縁者がいないものは町内で名簿をとりまとめ市へ提出。市が疎開先を割り当てることとなっていた。疎開には証明書を交付し、鉄道に優先乗車ができた。手荷物は身の回りのものと貴重品(配給の通帳など)に限るとされた。

しかし参考文献では布告される以前に噂とデマが市内をかけめぐり、10日の夜にはリヤカーなどに荷物を山積みにした市民で埋まったそうだ。さらに一般市民にまぎれ、緊急疎開後も市内に留まるはずの公務員、軍需・生活必需品の生産・配給関係者も避難。8月12日にはラジオ放送まで沈黙したとの記録がある。

国の意向に反し原爆投下に備えて市民を避難させることを決意し、さらに迅速な避難計画(情報が漏れてしまったが)を立案した県は評価できるように思う。市民は15日の終戦まで市内に戻らなかったそうだ。

実は原爆投下のために米軍は訓練を行っている。長崎型原爆(プルトニウム爆弾)に似たパンプキン爆弾(4.5トン爆弾)というのを原爆投下予定都市近隣で投下訓練をしていた。投下して爆発するまで数十秒。投下と共にすぐに後方に逃げないとB29も衝撃波で破壊されてしまうためだ。新潟では長岡市に数回投下されている。

原爆の歴史にこのようなことがあったとはよく知っておくべきかと思った。

また国や県は国民に対しどのようなことを重視するべきか、また自分の身を守るためにはどうするか、考え冴えられるものであった。

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://eniguma.blog85.fc2.com/tb.php/2906-18be2771

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。