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知覧と呉の三角兵舎 

鹿児島知覧、戦争末期に陸軍の特攻隊が飛び立ったところ。
ここに若い飛行士が最後の住まいとしたところが三角兵舎でした。
知覧特攻平和会館には三角兵舎が復元されています。

20131016_01_kagoshima.jpg

とても簡易的な作りで、知覧の三角兵舎は木々の間に建てられました。これは上空からくる敵機から見えにくいように意図されたものだそうです。基本的に寝る場所だったので中も質素です。

ここに宿泊する兵士は10代後半で、命令が下れば明日にでも帰ってこれない特攻作戦で出撃しなければならず、その思いはどれほどのものであったか。気丈にも明るく振舞っていても、布団の中ですすり泣く兵士もいたとか。

20131016_02_kagoshima.jpg

三角兵舎は戦場だけでなく、町中にも作られた場所があります。それは呉。
呉は軍港であり、また工場も多数ある軍の町ですが、浮かぶ艦艇や工場を空襲しても機能を止めることができず、とうとう住宅街を空襲し国民のやる気をなくさせる作戦になりました。

7月2日未明の呉空襲後、3日には住宅供給として三角兵舎5000戸の供給が決定。6日までに2000戸が建設されたというからものすごいスピードだ。いまでいうプレハブなのだろう。その三角兵舎の一部は平成の時代まで呉に残っていたらしい。

20131016_03_kagoshima.jpg

いつの世も、屋根の下にその家族、人たちの人生がある。
できれば笑いの絶えない明るい家庭であらんことを。


参 考

知覧特攻平和会館
http://www.chiran-tokkou.jp/

呉空襲後の住宅難を救った「三角兵舎」
http://harp.lib.hiroshima-u.ac.jp/bitstream/harp/8576/1/img-531103845.pdf


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